道端にひっそりと「古墳碑」と書かれた石碑があります。
これは、1917年(大正時代)、自宅の敷地内にあった古墳をとりつぶすことになった際、土地の所有者が記念として建てたものです。
ここにあった古墳は、中宮古墳と呼ばれ、玄室長5.3m、幅2mと記録されていますが、今は残っていません。
刀、鉾、須恵器など多数が出土しており、6世紀中ごろの古墳と考えられています。
石碑の少し北側に、中宮古墳の陪塚である黄金塚が今も残っています。陪塚とは主墳(大きな古墳)の周囲に作られた小さな古墳を指します。 陪塚には、主墳に埋葬された人物の親族や、臣下が埋葬されていると考えられています。
黄金塚は、フェンスで囲まれ空き地のように見えますが、6世紀後半から7世紀前半の円墳です。
黄金塚と書かれた石碑が建っています。