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神戸海軍操練所跡

神戸海軍操練所跡

1864年、まだ神戸港が開港していなかった江戸時代。

当時、江戸幕府の軍艦奉行だった勝海舟が幕府に進言し、ここ神戸に海軍士官養成所を設置することになりました。

海舟は、幕府や藩の垣根を越えた、日本の「一大共有の海局」、つまり挙国一致の海軍を作りあげる、という壮大な構想を抱いていました。

そのためには、地方からの人材登用・育成が必要である、と彼は説きました。

操練所はすぐには作れないため、操練所とは別に海舟の私塾を作ることが許され、坂本龍馬、陸奥宗光、伊藤祐亨(博文)など、後の日本を担う若者が神戸に集まりました。

しかし、長州藩が京都へ進攻した「禁門の変」の責任を問われて、海舟は軍艦奉行を罷免されます。

そして、翌1865年には、幕府の機関でありながら反幕府的だとして、神戸海軍操練所は閉鎖されてしまいました。

その100年後の1965年、神戸港の発展のさきがけとなった海軍操練所を記念して、この記念碑が建てられました。

錨のモニュメントには旧軍艦の錨が使われています。

本を開いた形のモニュメントは神戸開港100周年の1968年に建てられました。操練所創設の由来が書かれています。

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